当ブログ「熱と構造。」は、恋愛や親密な人間関係のなかで起きる現象を、構造分析によって解体していく。
幼いころから、明確な「答え」の出ないさまざまな問いについて考え、思考を深めるのが好きだった。
相手の機嫌や感情を読み取るのが得意で、自分がどう振舞えば場が穏やかに済むか、波が立たないか、他人を仲裁できるかも、呼吸をするようにわかった。
私は自分がそうやって空気のように自然に「適切に」振舞うことを、長い間、思いやりや優しさだと信じ込んでいた。
違和感に気付いたのは、いつの間にか、悲しくても苦しくても、涙が一切出なくなった18歳の頃。
それでも、それまでに染みついた自分の振る舞いを変えられずに、いつしか、自分が何を望んでいるのかすらわからなくなった。
本心では欲や望みがあったはずなのに、望むという回路自体をいつしか、使えなくなっていた。
私は代わりに、「なぜ?」と問い続けるようになった。
自分や他人の感情に呑まれながら、同時に、冷静に観察し続けている。
この二重構造が、私の書くものには表れていると思う。
このブログでは、人間関係のなかで生じるさまざまな問題――恋愛や愛着や共依存など――を取り上げていく。
ただし、解決策は提示しない。私が書くのは、それらの熱を持った感情が、どのような構造から生まれているのかという分析だけだ。
読者が、読み終えて心が軽くなったり、すっきりする保証もない。
それでも、自分自身や、身の回りで起きたことの輪郭がはっきりしていく。
一体、あれはなんだったのか。どうしてこんなことになってしまったのか。
そういうことがわかっていく、そういう文章を目指して書いている。
2026.8 芦原りせ
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