りせの本棚。

「えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる」/小山田咲子

目次

はじめに

概要

何かを本気でやりたいと思った時、その人以外の誰も、それを制止できる完璧に正当な理由など持ち得ない。

帯より

感想

女の子たち

 教室というのは不思議な場所だ。そこに居る以外の選択肢を持てずに過ごした、長くて窮屈な時間を思い出す。がたつく机やイスの固さが気にくわなかったし、背が低いので黒板の文字を書いたり消したりするのが嫌いだった。給食のぬるい牛乳や、埃っぽいカーテンや、壁新聞の四隅に丸く残る画鋲の錆が、気持ち悪かった。校内放送が入る時のぶつっという音も、いやだった。よくまあ通ったものだと思う。なんでもやり直せるといわれても、あの頃には二度と戻りたくない。

 今はもう、チャイムと共に走って教室に駆け込まなくていいし、お昼には好きな物が食べられるので本当にうれしい。トイレにもひとりで行けるし。どんなに小さなことでも選べる自由を手に入れるって素晴らしい。あの頃より特に賢くなったとも思わないんだけど、年を取るだけでいろいろ許されるようになるんだから、大人ってとくだなあと思う。

P2002.11.17

癒し

 でも、ひとりの時間を大切にすることと、ひとりの生活に慣れてしまうこととは、まったくの別問題だと思う。寂しいということだけではなくて、悟った人間でないところの私はやっぱり結局自分ひとりじゃ新しくなれないし、日々の小さな活動のひとつひとつを反応してくれる相手がいないまま積み重ねてゆくのは空しいことだと思う。

 完全なひとり暮らしなんて、長く続けるもんじゃない。どんなに楽ちんでも。

2003.1.6

居場所

 私たちにはたぶん、居場所が必要だ。

 できれば小さな自分の部屋や作られた物語の内側だけじゃなく、生きている人の手や心の中に。あるいはどこか果てのない広い世界の真ん中に放り出されて見つけるか。

 私たちはみんな宿命的に自分以外にはなれないのに、自分が自分である重さを時間として手に入れるために必死にひとりになろうとしたり、逆に誰かに必要とされようとあがきながらしか生きていけないのは、せつない。

2003.2.3

限界

 論理的思考って、努力して身に付くものなんだろうか。感情でものごとを考える自分の幼さは口論になるたび自覚するけど。私の世界では私ひとりの感情が全てでも、いつまでもそこにとどまっているわけにはいかないと。

 人の痛みや悲しみに向き合う時、個人的な感情を排するなんて本当にできることだろうか。それが大人になるってことなのか。皆そうしているのだろうか。

 論理で割り切れてしまうところに本質があるのだろうか。そもそもものごとに本質なんてあるのか。少なくとも私はまだ見たことがない。感情を全く支配する、悲しみや喜び以上の真実を。大人は皆知っているのだろうか。私にも努力次第でわかるようになるのだろうか。

 それでも圧倒的に正しいその言葉の中の、温度の無さ正しさが私には恐ろしい。生きている人の言葉じゃないみたい。目の前で話されている言葉でなければまだいいのかもしれない。今はまだ傷ついても成長したいけれど、背伸びをやめたらすべて投げ出しそうで怖くなる。

2003.2.10

おわりに

りせ。

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四六時中忙しく働き続ける脳みそに
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