はじめに
藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じころに始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な“道具”が私たちを照らすとき――。
あらすじより
わたしが辻村深月さんの本を初めて手にしたのは高校生3年生の時で、この本がきっかけだった。
本屋さん巡りが趣味だったわたしは、そのタイトルと表紙の美しさに心惹かれ、手に取ったことを覚えている。
印象に残った部分
第1章 どこでもドア
本を読むのが大好きで、私は創作の世界から大事なことをすべて教わった。戦争の痛みも死別の悲しみも、恋の喜びも。自分が経験する前に、本であらかじめ知っていた。私の現実感が妙に薄いのはそのせいかもしれない。小説や漫画の世界の圧倒的な残酷さに比べ、現実の痛みはどうしたって小さいことが多い。私はそこに感情移入がうまくできない。現実にあったら悲しいことでも、フィクションの世界では、ありふれた取るに足らない出来事。ねぇ、もっと刺激的なことを用意してくれなくちゃ読者は興味を引きつけられない。
P49ー50
『どこでもドア』を持つ私は、屈託なくどこのグループの輪にも溶け込める。愛想よく馬鹿のふりをしながら。親身になって話を聞いて、いい人ぶりながら。どこでも行けるし、どんな場所や友達にも対応可。
だけど私は、Sukoshi・Fuzai(少し・不在)だ。いつでも。
場の当事者になることが絶対になく、どこにいてもそこを自分の場所だと思えない。それは、とても息苦しい私の性質。
P51
主人公の理帆子は当時の自分と同じ高校生で、理帆子の内面描写には共感してばかりだった。
教室でみんなが受験勉強しているのを横目に、夢中で読み進めた記憶がある。
辻村さんの作品を読んでいると、まるで穏やかに冷たいナイフで身を裂かれるような感覚に陥ることが度々あり、当時のわたしは新鮮な感覚に襲われていた。
読後のカタルシスを感じられる、思い出深い作品の1つ。
ここから辻村作品にハマり、大学時代には当時出版されていた書籍をほとんど読破していったのは裏話。
例えば、明日もし母が死んでしまったら、私は公開するだろうと。後悔し、涙涸れるまで泣き、自分を責めるに違いない。もっと優しくすればよかった。多くを語り合えばよかったと。そしてそれがわかっていても、今目の前にいる母には自分が優しくできないこと、それも知っている。人間というのは、理不尽で業が深く、そして間が悪い生き物だ。
P75
第3章 もしもボックス
ねぇ。もしも私が存在しない世界になれば、何か変わるだろうか? 私不在の世界は、きっと何の影響もなく、そのまま流れゆく。そんなの、何か意味があるだろうか。
だから私は、誰も存在しない世界に生きたい。私はそこで生きるべきだ。
私の欲しい、ドラえもんの道具。『入りこみ鏡』。『逆世界入りこみオイル』。『おざしきつりぼり』。鏡の向こうの、誰もいない世界。時折鏡越しに、外の様子を窺うだけ。
P185
第4章 いやなことヒューズ
知らない町を歩くのは、父がよく好んだことだった。
全く知らないからこそ、その土地を愛せることもある。その場所の人々に責任なんて何もないから、無条件に言える。人間が大好き。小さな私の手を引いて、知らない町を歩く。カメラをぶら下げて、闇雲に撮る。私と町、知らない小学校の校庭。花壇と遊具。
P273
第五章 先取り約束機
「いつも、持病のせいとか、親のせいとか、自分の力ではない他のせいにしてきた。だけど、悪いのは自分だと認めなくちゃ。全部を自分の責任だと認めて、その上で自分に実力がないんだと、そう思って諦めなくちゃならない。精一杯、本当にギリギリのところまでやった人にしか、諦めることなんてできない。挫折って、だから本当はすごく難しい」
P301
第7章 ツーカー錠
「ねぇ……」
思いがけず、鳴き声のような声になった。声にしてから気付く。寒くもないのに、私は震え出していた。
「ねぇ、本当に大事なものがなくなって公開して、どうしようもなくなって。そうなった時、私は、それに耐えられるかなぁ?」
きっと耐えられない。私は既に、一人で結論を出していた。
P445
おわりに
今を生きることに息苦しさを感じているティーン世代に、ぜひ読んでほしい一冊です。その頃をたどってきた大人や、ドラえもんが好きな方にもおすすめ🐋✨
りせ。
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