はじめに
言いにくいことだけどね、彼らは死んじまうんだーー。新妻ミュリエルと海辺の町に来たグラース家の長兄シーモア。浜辺で謎の魚の話をする少女に聞かせた後、彼が自殺するまでを淡々と描く「バナナフィッシュにうってつけの日」。若者が内包する苦悩を、胸に突き刺さるような繊細な物語に託し、世界中で熱狂的な読者を有するアメリカ現代文学の巨匠サリンジャー。九つの自選短篇集。
文庫あらすじより
「ナイン・ストーリーズ」はタイトルの通り短編集で、その中に「バナナフィッシュにうってつけの日」という一編が収録されています。
「バナナフィッシュにうってつけの日」では、「フラニーとゾーイー」に登場する重要人物である家の長男・シーモアがメインキャラクターとして描かれています。どうしてシーモアは自殺してしまったのか。
この短編を読むとその経緯がわかります。
わたしがこの「バナナフィッシュ」という言葉や「シーモア・グラース」という人物を初めて知ったのは高校3年生の頃で、その頃愛読していた野中柊さんの小説「きみの歌が聞きたい」がきっかけでした。
「きみの歌が聞きたい」の小説内に、以下のようなくだりがあります。
「じゃあ、言ってごらん、シーグラス」
私は言った。
「シーグラス」
「もう一回、シーグラス」
「シーグラス」
「じゃ、これは? シーモアグラース?」
「なにそれ?」
「いいから、言って。シーモアグラース」
「シーモアグラース」
「そう。シーモアグラース」
「シーモアグラース。シーモアグラース」
「きみの歌が聞きたい」より
そして、さらに時を経て、私がサリンジャーを読んだのは、高校時代だっただろうか。シーモアグラース。その言葉を見つけたときには、ふいに涙があふれて止まらなくなった。『ナイン・ストーリーズ』の中の「バナナフィッシュにうってつけの日」という短編小説だ。
夏の海辺で、ちっちゃな女の子が言う。
「もっと鏡見て」と。
主人公のシーモア・グラースは、彼女を誘う。
「こうしよう。これからバナナフィッシュをつかまえるんだ。やってみようよ」
かつて私たちが過ごした時間が、小説の中の海辺の情景と二重写しになって、瞼に浮かんだ。きらきらと輝く水面。空の色を映し出す。
作品の最後で、シーモア・グラースはこめかみに拳銃を当てて、引き金を引く。なぜ? そのことについては語られていない。
ちひろちゃんには、自殺なんてことは、まったくそぐわないけれど、事故というのは、さらにそぐわない。小説を読んで、なにかがすとんと腑に落ちた気がした。彼は海に入って、バナナフィッシュを見つけただろうか。
おわりに
グラース・サーガのはじまり。「バナナフィッシュにうってつけの日」が収録されている一冊です。
りせ。
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